台風の被害

葉山移住2019/10/3

夏以降いろいろとばたばたしてしまってあっという間に9月が過ぎ去ってしまいました。
一番の出来事は台風15号、うちもその被害を被りました。すごい台風が来るらしいということで、昨年秋の強風(台風ではない)で庭の柳の木が少し倒れてしまった教訓から柳の木は枝をちょくちょく剪定したり、台風当日にはロープで倒れないように固定していました。夜になってますます風が強くなり、夜中の2時ごろに停電。3時ごろには台風の目が上空を通過したらしく風の向きが180度変わり、それまで以上の強風がしばらく続きました。それでも昨年の強風に比べると風は弱かったような気がします。真上を通ったことで少しはましだったようで少しずれていれば千葉県と同じような惨状になってしまっていたかもしれません。
さすがにその夜は一睡もできなかったのですが、停電は朝になるまでには回復しているだろうと思っていました。その日の朝には仕事で江の島の現場までいかなくてはならず車を出してみたら海沿いの国道134号に出たところ(逗子の渚橋)で通行止め。裏道を経由して134号に回り込んだところ信号や電柱がなぎ倒されていました。


あとで知りましたが砂浜に建っていて解体工事中だった海の家が屋根ごと国道を超えて住宅地側にまで飛ばされて、それが電柱や松の樹をなぎ倒していったようです。

幸いにして住宅手前の駐車場で残骸はとどまっていましたが、貴重な海沿いの松の木は数本失われてしまいました。

道路は各地で通行止めだらけのようで特に逗子市のトンネルは3本が土砂崩れで通行止めとなったらしく、後で聞いた話だと鎌倉から葉山まで4時間かけて(通常15分)たどり着いたという人もいたようです。仕事先の江の島についてみたら大きなクレーンが折れ曲がっていて島も全島停電中。電気もなく台風後の猛暑の中での打ち合わせを行いました。

家に帰っても停電は続いていて仕事もできないので復旧するまでゆっくり待つことに。とても暑くて扇風機が使えないことがとてもつらかったのですが、断水はしていなかったので水浴びしながらゆっくりとこの状況を楽しむしかないかと。

しかし夜になっても復旧の見込やニュースもなく、携帯の電波さえ届かない状況になってこれは長引きそうという判断をして夜は横浜の別宅(以前住んでいたマンション)に一時避難することに。この横浜の別宅までも通常は20分もあれば着く距離なのですが、高速道路が閉鎖中の上一般道路も各地で通行止めの幹線道路は大渋滞中。東日本震災直後の様子を思い出しました。なんとか裏道を駆使して別宅にたどり着き、しかしこの部屋があったことでとても助かりました。葉山町でも特にうちの周りの地区だけ停電が続いていたのですが、みなさん暗い夜を家で過ごしたり、町内の停電していない友人宅に泊めてもらったりしたみたいです。

その翌日今日は電気も復旧するだろうとまた一日その時を待ちましたがどうもその気配がなく、葉山町役場でさえいつ復旧するか全くわからない模様でその日も再び別宅にもどってもう一泊。その翌朝、どうやら電気が復旧したらしいというニュースを得て葉山に帰宅。約55時間の停電でした。東日本震災時にも計画停電を経験していなくて、生まれてこの方これほど電気無しで過ごしたのは初めてでした。これくらいで済んだことで特に東京電力に怒るような気もなく良く復旧してくれたという感謝の気持ちの方が強かったです。まあ良い経験になりました。ちなみにトイレはタンクレストイレは手動では1回しか水が流れなかったですが、タンク付トイレの方は手動で何度でも流すことができて問題ありませんでした。

台風一過の晴天の我が家。南側の柳の樹もどんどん育ってきました。無事で何よりでした。